皇軍の愛、なぜ兵士でなく彼女が死ぬのか ─『朝鮮海峡』、待つことのメロドラマ

李英載 (Yi, Young-Jae)

 

「お父さん、私達にも祖国を與へて下さい。ために戦うことの出来る祖国を與へて下さい」[1]

「統治者が市民に向かって「お前の死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民は死なねばならぬ」[2]

「感情‐イメ―ジはクローズアップであり、クローズアップは顔である」[3]

 

はじめに‐徴兵制下での志願兵‐「我等新たに兵に召されたり」

1943年、徴兵の時間がやってきた瞬間、一編の「徴兵制宣伝映画」がつくられる。ところでこの映画は徴兵された軍人の話ではなく、陸軍特別志願兵の話‐ある「志願兵の愛」に関する話である。期待に違わず、映画『朝鮮海峡』は始まるや否や「徴兵制実施感謝決意宣揚」の下に「我ら新たに兵に召されたり」という大きな活字を映し出すことで宣伝映画としての存在を誇示している。しかし死の可能性と対面する朝鮮人皇軍の入営は(天皇陛下の)お召、あるいは(国民としての残酷な招待への)感謝とは無関係である。なぜなら彼は自らの前に置かれた難題の「解決」のため、自ら志願し皇軍となるからである。端的に言えば、この映画は徴兵制宣伝映画の衣をまとったまま、「死ぬことの理由」を一心に探しに行く自己説得の映画である。『朝鮮海峡』は朝鮮の全ての宣伝映画を圧倒する大きな反応を呼び起こし、またその多くは女性の観客であった[4]。どうしてこんなことが起きたのか。ところで、この映画の成功は批評的評価をともなったものではなかった。かえってこの映画は批評的に深刻な災難に直面した。この話は『朝鮮海峡』が1943年の朝鮮において通用していた「批評の基準」にどこかで背いていることを物語っている。

この映画が描いているのは上で述べたように「陸軍特別志願兵」、すなわち学徒兵に関する話である。第81回(1942年)帝国議会において兵役法第9条2項(国民兵役ハ戸籍法ノ適用ヲ受クル者)と兵役法23条(戸籍法ノ適用ヲ受クル者ニシテ<略>年齢二十年ニ達スル者ハ<略>徴兵検査ヲ受クルコトヲ要ス)で戸籍法という語句の以下に「又ハ朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ヲ受クル者」を挿入、関連法を改定することにより朝鮮での徴兵制が1943年8月1日を起点にして施行された[5]。ところで年齢規定に関する法令と諸般事項の整備などの問題により、最初の徴兵は1944年の4月になって実施されることとなった。一方、日本のなかでは1943年の10月から実施された「在学徴集延期臨時特例」によりほとんどの法科と文科系の学生たちが徴集されたことにより難しい問題が生じた。朝鮮人徴集の開始時点まで6か月間のずれが生じ、内地では朝鮮人・台湾人の学生たちだけが残される形になった。さらに21歳以上の朝鮮人・台湾人学生たちを対象とした「陸軍特別志願兵臨時採用規則」が陸軍省の主導で公布された。総督府としては歓迎するに値することであった。「相当な内地語を駆使することができ、また内地人の青年の気持ちもよくわかっている[6]」学徒兵の入営は近づく徴兵制のための牽引車の役割を果たすからであった[7]

1943年という時間を理解するために、私がここで問題にしようとするのは「陸軍特別志願兵」という形式それ自体である。したがって朝鮮人徴兵と日本人学徒兵との間で苦肉の策としてつくられたこの法令を文字通りに理解しようとすることである。もちろん、それはその過程においてわかるように、徴兵制実施以前に、偶然でなくつくられた空白期を埋めようとする「便法」であった。しかし徴兵制がすでに決まっていた時に聞こえてくる「志願兵」という言葉の響きは意味深長である[8]

 

1.「有意の死を」-被植民地人兵士というもの

今私の手元に一冊の雑誌が開かれている。日本語と朝鮮語が混在してつくられた1943年12月号『朝光』は学徒兵特集と十分呼びうるものだ。去っていくものは日本語で決意を固め、送るものは朝鮮語で激励を投げかける。五編の日本語テキスト<出陣学徒の辨>が朝鮮語でなされた十一編の出陣学徒訓と遭遇する。去っていく者と送る者、どちらもある一つのことを明らかにすることに没入している。彼らの死が決して「犬死に」ではないということ、学徒兵隊に送る崔南善の訓えの題目はまさに象徴的である。「有意なる死を[9]」。

 

「私には幼い時から祖国、祖国というい思いがどうしても頭から離れませんでした。祖国のために勇躍して戦場に赴き戦う彼らが限りなくうらやましかった。(中略)愛国の純情をいかようにも試みる道理もなかったその時の気持ち、それこそが一つの悲劇に他なりませんでした。」[10]

 

延喜専門学校文科三年生の瑞原幸穂が感じた「悲劇」は志願兵制度とともに「いくらかは」解消された。だが、それにもかかわらず残ってしまう「一抹の寂しさ」が「秘められた嘆き」を呼び起こした。「その時、まさにその時、私たちにもお召が下されました。」[11]

この文を書いている人は、今や初めて限りなくうらやましく思っていた「彼ら」の一員となる。またある者はこう書いている。普成専門学校に在学していた松原実は「死の前に踏み出すために」「この死の意義」を自らを納得させねばならなかった。

 

「私たちは立って第一線へ駆けつけることは「事実上」私たちが郷土半島の山河を属領の地位から本土の地位へと高めることであり、永久に開かれない運命に置かれた私たち半島の運命を押し開く意義を持つことに他ならない」[12]

 

創氏改名した存在らが日本語で記録したこれらのテキストは全てが死の「意義」を追及することについやされている。彼らは死の前に追いつめられた者たちであり、そのためその答弁は宣言の形式を取るしかない。「したがって、私は命をささげるのである」。召集への答弁というのは、修辞学的慣行のなかでいえば、当然しなければならぬこととして受け入れる形式である。ところで宣言というのは不可避的に自発性を内包するしかない形式である。1943年のテキストがよりいっそう興味深くなるのはまさにこの二つの文の不一致にある。またこの不一致のなかで初めて義務と権利がメビウスの輪のように絡みあっている近代国家の構成原理がそのままあらわれる。

例えば「朝鮮徴兵制実施の特殊性」を論じているもう一つの朝鮮発のテキストを読んでみよう。

 

 「いかなる風俗も日本主義に反するものは決して許されない。いかなる宗教も日本主義に反するものであるなら許されない。いかなる衣食住も日本系統のものでない以上受け入れなれない。いかなる言語も日本語でない以上使用してはならない。(中略)これは完全なる無差別主義として、これこそが恐れ多くも陛下の赤子として内地兵とおなじものとなり、国を守り敵を打破することが可能となるわけである」[13]

 

閔丙曾の論理が興味を引くのは義務が完全なる平等の上に基づいていることを力説しているからである。これは『赤子の一人としての立場のみ』を念頭に置いたもの、すなわち民族と階級と性別の差異を無化してしまう天皇の前での万人の平等という急進的な論理の飛躍により可能となる。国民の名で内地人と朝鮮人の差異に関する言説を根源的に封じ込めてしまうこと、繰り返して言えば、天皇制国家の国民となりえる朝鮮人こそが兵士となるのである。ところで国民皆兵制と普通選挙、そして義務教育が近代市民の成立の瞬間にどれも到来したことを想起するとき、徴兵制は必然的にこの後者を召集する契機として認知されるされるしかないものとなる。

徴兵制を目前にした当時の状況をある一人の日本人官吏は以下のように回想している。「特に際立ってきたのは義務教育と徴兵制の実施、そして選挙法と参政権の問題でした。義務教育は徴兵制と関連しています。(中略)義務教育をせねばならぬ理由は、兵士として日本人と違いがあってはならぬためです」[14]

徴兵制、義務教育、参政権。ところで新たな「国民」らが一挙に直面したこの近代国家の諸原理はこの地が植民地である限り決して自然化されえない。帝国の意図は毎回誤解を経てのみはじめて非植民地人らの応答を引き出す。仮に一人の学徒兵は国家のために死ぬことができるか、という問いを郷土のために命をかけるという答えへと移すことにより、かろうじてこの死を受け入れる[15]。ところがこの微妙な行き違いを相殺するためには、「証明」という様式が必要だ。すなわち非植民地人は入営に先立ち彼らの忠誠心を証明しなければならず、死の理由を見つけ出さねばならず、そのようにして自らの自発性を立証しなければならない。この行為が求められることにより、非植民地人に与えられた徴兵という状況は徴兵制と普通選挙と義務教育がともに到来した瞬間を、近代国家成立の瞬間を何度も繰り返して再現する。したがってこの反復される再現のなかで「血をもって祖国を守る[16]」は毎回「意識的な行為」となる。

きわめて不思議なことだが、非植民地人が「自発性」の形式を帯びる一つの国家‐日本帝国は決して自然化されはしない。非植民地人兵士の現象が提起する問いは二重的である。なぜならばそこには植民性と脱植民性の問題だけでなく、徴兵制に基づく近代国民国家の企画がともに絡んで入り込んでいるからである。1943年という時間に到着した映画、『朝鮮海峡』はまさにこの徴兵制‐国民国家‐植民地の間に発生する残酷な矛盾を示している。

朝鮮の徴兵制実施を記念し、朝鮮映画株式会社で製作された「国語」映画『朝鮮海峡』(1943年)は植民地朝鮮映画が完全に日本映画に編入された以後、『半島映画に前例のない興行成績』(昭和18年朝鮮年鑑[17])を記録した。演出の朴基采をはじめとし、朝鮮人スタッフのみにより完成された[18]この映画がつくられた頃、朝鮮映画株式会社は創立記念作品として豊田四郎の『若き姿』を朝鮮軍と総督府の全幅の支持の下で制作していた。日本の映画会社として成立した朝鮮映画株式会社は日本と朝鮮の映画人たちの総力が動員されたこの本格的な徴兵制宣伝映画として、朝鮮映画と日本映画の完全な統合を満天下に知らせようとした。しかし『若き姿』の制作は遅滞し、その間にこの映画に比べれば比較にならないほど小規模な『朝鮮海峡』が、「朝鮮映画株式会社」の最初の劇映画として公開された。『朝鮮海峡』に関与したスタッフらは『若き姿』と撮影が重なることで蒙ることになった不公平な待遇について不平を述べている[19]。そして、『朝鮮海峡』は『若き姿』という大作「国語」半島映画を抑えて「例外的な」成功を収めた。「世俗の涙をあつめ」る「女性映画」『朝鮮海峡』は「百万人の京城市民を」泣かせた[20]。(「青春の感激に包まれた美しい女性映画です」『朝光』1943年6月号の広告より)。この映画が収めた予期できなかった成功が必ずしも肯定的な評価をともなったものではなかった。「新派調の悲劇」にすぎないこうした種類の映画は今の時局では絶対排撃」しなければならないという主張する一人の日本人は結局以下のように述べている。

「この作品は悲劇だと稱するには余りに時代ばなれがして居ると言っても決して過言ではない。そしてこの残簿な作品は脚本の古さや演出の未熟、演技者の拙劣なためでもない。これはこの作品の根本精神の間違ひ、製作方針の悪さである」[21]

この反応はほとんど神経質的なものだといえるだろう。あの驚くべき成功とこの神経質的な反応とを同時に呼び起こしたものは果たして何なのか。それはもしかして女性映画、あるいは「大衆映画」というレッテルが貼られる事情と重なっているものではないか。ところでこの映画は息子を売る父の 物語である。

 

2.徴兵制の時間、メロドラマの時間

『朝鮮海峡』はこれ以上はないといえる残忍なメロドラマである。成基(セイキ)は家族が反対する女と結婚することにより父から棄てられた息子である。彼が父から認められる唯一の道は戦死した兄のように軍人になることだ。 成基は妻の錦淑(キンシュク)に一言も言い残さず、志願兵訓練所に入所する。残された錦淑は一人で息子を産み、紡績工場で働きながら彼を待つ。そうしたある日、男は負傷し、貧しさと過労とで疲れ切った女は倒れてしまう。日本へと後送された成基は入院している錦淑に初めて電話をかけ、 成基の父は錦淑と子供をついに受け入れる。

『朝鮮海峡』で最も不思議なことは、この映画が呼び起こすいかなる葛藤も国家が動因とはならないという点である。例えばこの映画の横に、いち早く日本精神を体得した熱血教師と少年たちが軍人精神の涵養により高揚していく『若き姿』を並べた瞬間、『朝鮮海峡』に対し「時代錯誤的な悲劇」と一喝した須志田正夫の指摘は、かなり適切なように思われる[22]。このストーリーは明らかに『我等新たに兵に召されたり』という宣言と背馳している。なぜなら「召された」瞬間でさえ成基は国家の存亡ではなく、親の結婚への認否に関連する自らの問題を「解決」するために戦場へと赴くからである。徴兵制という強制の時間にもかかわらず、自発性の語りによってのみ発話が可能なこと。ところでこの自発性の形式を可能にしているのは、父に対する息子の認定闘争である。父は息子に死を要求し、息子は死をかけることにより父に認められる。

『朝鮮海峡』と『若き姿』の差異はどこに由来するのか。一方で、それは今行かなければならない者たちと、これから行かなければならない者たちとの差異に由来するものと思われる。『若き姿』が未来の兵士、中学五年生の少年たちを対象としているのは、ただこの国策映画の啓蒙‐動因のメカニズムのためだけではない。機会の言説とは未来をめぐってなされるものである。「我等は軍人になるだろう」。死ぬことができると死ぬとは異なる。潜在性はそれが潜在性である限り可能性たりえる。

例えば1940年という時間に息子の口を通して「お父さん。私達にも……戦うことの出来る祖国を與へて下さい」と語らせている[23]李光洙の1943年の小説の題名は「兵になれる」である。朝鮮に徴兵制が実施されるという知らせを聞いた父は、軍人になれないことを悲しみ、死んだ幼い息子を回想する。死んだ息子への追憶にとらわれ父は叫ぶ。「「兵になれる、兵になれるぞ」私は、一人でつぶやいてゐることに気がついた。私を大声を張り上げて、「兵になれる!」と叫んで見た」[24]

軍人になる、より正確に言えば、ならなければならない状況においてこの父が「なれる」と叫びうるのは「死んだ」息子を対象としているからである。したがって「既に」死んだ息子なので、この父は相変わらず「なれる」という可能態で叫ぶことができる。ところで仮にこの息子が死んだ息子ではなく生きている息子ならどうなるか。その時、相変わらずこの父の叫びは可能態として存在しうるだろうか。どうかすると可能態として存在しうるために、この小説の息子は「死んだ」息子でなければならなかったのではないか。なぜなら既に1943年は「なれる」の時間ではなく「なる」の時間であるからだ。ところで『朝鮮海峡』の残酷な父は「なれ」と語っている。この二つの文の差異はこのテキストの話者が誰なのか、そして誰に語りかけているのかという問いを呼び起こす。

『朝鮮海峡』を非常に興味あるものとしているのは、売られていく息子たちの父に対する猛烈な憎悪である。戦死者の父という地位のために、この父が息子に求めるのは死である。決して悲しみも惜しがりもしない、涙から最も遠くはなれているこの現象は、あまりに露骨なので、その形象自体が世の中の無情な父たちに対する息子たちの秘められた怨恨のように思われる。赴かねばならない息子はこう問うているかのようだ。結局命をかけなければならないのは誰なのか。あなたか、わたしか[25]

この映画が死の場所から始まっていることこそが、この一連の事情をはっきりと見せている。草地の上には鉄兜がおかれている。逆さにおかれた鉄兜は持ち主の死を暗示する。暗示は次のショットの故陸軍上等兵李家成昊という卒塔婆を通して現実化される。このショットは遺影へと続く。遺影をクローズアップしているカメラが徐々に遠ざかりながら遺影の前に座っている一人の男の後姿が見えてくる。この長いショットがおわってからはじめてカメラは主人公の顔を正面からとらえる。彼の顔は祭壇の両側に立てられたロウソクの間におかれている。このショットはこのシークエンスが始まった最初のショット、両側のロウソクの間におかれた死んだ男(すぐに、私たちは彼が主人公の兄だということを知ることになる)の遺影と対応している。前のカットの写真の中の男は既に死んだ者であり、二番目のカットの男は生きている者である。しかし「遺影」の形式をなぞっているこのショットは、生きている者が「既に」死んだ者であることを暗示している。あるいは次のようにも見えるだろう。後姿で登場するこの男は、死んだ者の様式をとることによってのみ、正面の顔を見せることができる。このシークエンスは1943年という時間をそれ自体として視覚化している。

 

 

機会の言説が態と時制(tense)とにより封鎖、あるいは破綻に至るこの地点は『朝鮮海峡』と、それよりも3年前につくられた映画『志願兵』は、恩典への献上物としてつくられた映画である(「光輝アル皇紀二千六百年ヲ迎ヘ我等半島映画人ハ此ノ一篇ノ映画ヲ南総督ニ捧」)。「召される」と「捧げる」は正反対の方向性をもっている。後者が彼あるいは彼女の意志、自発性の発露であるのなら、前者は彼あるいは彼女の意志と無関係のものである。私は一方的に召されなければならない。この方向性の差異が意味しているところは明らかである。1940年という時間に『志願兵』をつくった公的、非公的な転向者らは(この映画の原作者の朴英煕、監督の安夕影、製作の崔承一はみな転向者であった)それまで所有できなかったもの、国民の可能性としての「兵士」という体と直面した。『志願兵』が全編これ資格に関する話で埋められているのは偶然ではない。兵士になることのできなかった植民地男性は父に、主人に、恋人になることができなかった。例外的な生と境遇が常例となっていた植民地の状態において、かろうじて生きていく被植民男性は激甚なる憂鬱症にとらわれている。そうした彼がこの憂鬱を克服するのは文字通り外部から与えられた贈物、すなわち志願兵という「恩典」のお陰であった。志願兵制度の公布を聞いた春浩(チュンホ)が許婚の芬玉(ブンオク)に叫ぶ。「僕は帝国軍人になるんです!」。被植民地男性主体の再男性化はそうやって「宣布」される。もちろんこれは残酷な逆説である。なぜなら帝国は戦争という例外状態を通じてのみ、辛うじて被植民地男性という例外的存在を帝国内部の存在へと呼び出しているからである。

以前、私はメランコリーからの脱皮という再男性化の次元において『志願兵』を分析しつつ、この映画の最後の場面、志願兵となった春浩が乗った汽車が出ていき一人ホームに残った女性主人公(文藝峰扮)の笑顔で閉じられる場面が、男性メランコリーの女性への転移だと論じたことがある[26]。しかしこの論は多少修正される必要がある。万が一、メランコリーが(私の主張のように)占領から植民という認識へ移ったところに生成された被植民者の精神状態であるのなら、軍人になることにより文字通り「国家」と向き合ったそこには、もはやメランコリーが働く余地がない。私はそこに「待つ女性」という問題を介入させる必要を感じる。男性から女性へのメランコリーの転移という分析は男性と女性を過剰に分割した結果かもしれない。女性は国民の外にあるものではなく、男性を「通して」国民となる。したがって徴兵制に基づく国民国家の企画が働くそこでは、女性「もまた」(一方では当然なことだが)この企画に参与しなければならない。要するに彼女は「待つ者」の役割を通して国民となる。

 

3.男性の憂鬱から女性メロドラマへ

『朝鮮海峡』が封切られた当時に書かれたある映画評は極めて過酷なほど断固とした態度を見せている。新進シナリオ作家李春人によれば、この映画は「とても恥ずかしくて内地にも見せることもできず、朝鮮でも低俗層へのプロマイドの価値以外には効果がないよう」な最悪の映画である。彼の気持ちをこれほどまでに不快にしたのは以下の二つである。

一、錦淑が死んでしまう映画の結末。李春人の話によれば『これは全て解決をした後、ただ寂しく錦淑が死んでしまう』この映画の結末は全く理解不可能なものだった[27]。どうかすると彼の言う通り錦淑の死は物語の明らかな弱点かも知れない[28]。なぜなら錦淑が死ぬのなら、父から許しを受けるために命をかけた成基の行為は無意味なものとなってしまうのだから。

二、李春人が執拗に問題としているのは物語の「蓋然性」の問題だ。彼によればこの映画は「疑問だらけ」である。映画には錦淑の死を説明してくれる何らの「伏線」もなく、その上なぜ成基とン錦淑が映画を通じて終始あれほど行きちがわなければならないのかとても理解できない。彼の表現によれば、これは「わざと葛藤を生じさせよう」とするものに過ぎず、あれほど「不自然」なものもない。

したがって「ありそうもないこと」が問題なのだ。ところでジャンル映画において蓋然性とは、どれほど現実をうまく反映しているかの問題ではない。それはかえって「合意」の結果である。すなわちジャンルの規則をどれほどよく認知しているかという問題なのだ[29]。したがって「ありそもないこと」に対するあの執拗な不評が意味するところは、かえってこの評者にとって『朝鮮海峡』がどれほど「馴染みがない」ジャンルの映画であるかを反証しているのであろう。もう一度この映画が「女性映画」として宣伝されたことを思い起こしてみよう。いったいこの「女性映画」という曖昧な言葉が指しているのは何なのか。

メアリー・アン・ドーン(Mary Ann Doane)の明解な定義によれば、女性メロドラマは『女性的被虐症のシナリオを再生産』する[30]。この類型のメロドラマにおいてもっとも頻繁に出くわすのは立ち去る男と待つ女である。この定義を念頭におくなら、李春人が提起した過度な悲劇性と蓋然性の問題は、かえって『朝鮮海峡』がいかに女性メロドラマの典型を獲得しているかを反証するものとなるだろう。私が指摘したいのは、この映画が獲得している典型性の問題ではない。それではなく、解放以後の徴兵国家大韓民国の最大のヒットジャンルであった「女性のお涙頂戴映画」の前身が1943年という時間にはじめて到来しという事実である。繰り返すが、最初の徴兵制という時間に今や例外的な存在ではない国民‐男性は女性に待つ役割をゆだねた。

もちろん男が待たせる権利をかちとる瞬間は<志願兵>の最後の場面、ついに兵士となった男が乗った汽車が出て行き、残された芬玉(文藝峰扮)のおぼろげな微笑みのなかに予告されていたものである。しかし志願兵制度において相変わらず国民とは可能態に過ぎないのである(したがって機会の言説が猖獗する契機となりえた)。文藝峰のイメージのなかに予告されていた<志願兵>以降は『朝鮮海峡』にいたり完成した。成基が一通の手紙も残すことなく、立ち去ることにより錦淑(文藝峰粉)は完全に「ひたすら待つ者」を演技することが可能となる。この瞬間はじめて『朝鮮海峡』の物語上の疑問点もまた解消される。なぜ男は女に兵士となって行くと話さないのか。なぜ錦淑の忠実な義理の妹でさえ、彼女にその事実を知らさないのか。

待たせる特権的地位が確保されない限り、このメロドラマは完成されることはない。そして、待たせる者により構成された物語は待つ者の感情の動線へと移っていく。亡国民の悲哀、被植民地男性の憂鬱、「青年の悩み」を克服し、再活性化された男性、待つ女性の被虐症へと変異する被植民者らの疾病は文藝峰の顔にその明白な形態もつこととなり、観客らの感情は頂点に達する。別れた二人は 再び会うことができるのか。こうした問いの前へとおしかけた多くの観客の涙の意味は果たした何なのか。

4.立ち去る男、待つ女

「さて、市民は、法によって危険に身をさらすことを求められたとき、その危険についてももはや云々することはできない。そして統治者が市民に向かって「お前の死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民はは死なねばならぬ。なぜなら、この条件によってのみ彼は今日まで安全に活きて来たのであり、また彼の生命はたんに自然の恵みだけではもはやなく、国家からの条件つきの贈物なのだから。」[31]

 

ルソーの熱烈な信奉者であったオランプ・ド・グージュは死をかけた「市民」の資格という問題を正確に把握していた。「人間と市民の権利の宣言」(1789年)を「パロディー」した「女性と女性市民の権利宣言」(1791年)の第10条で彼女は『女性は処刑台にのぼる権利を持つ。同時に女性はその意見の表明が法律により定められた公の秩序を乱さない限りにおいて、演壇にのぼる権利を持たなければならない[32]』と宣言している。すなわち処刑台にのぼることはそれ自体として権利なのである。なぜならルソー式に言えば、これは国家の「正当な敵」として取り扱われることを意味するからである[33]。「お前の死ぬことが国家に役立つのだ」というとき 」は二つの場合である。兵役と死刑。ルソーと同じくオランプ・ド・グージュにとって近代市民の最小限の資格は自らの死を担保する瞬間に可能となるのだ。(公権力の維持と行政支出のため女性もまた税金を出すことを主張する彼女はマリーアントワネットの監視のための女性国民兵の提案をもしている)。一方オランプ・ド・グージュの宣言から七年後の1798年に書かれたカントの『人間学』にはこれと関連して極めて興味深い文が登場している。

「子供は当然未成育であり、その子らの両親が後見人となる。女性は年齢と関係なく市民といて未成育だと宣告される。(中略)女性はその性の本性から話す才能の長けており、法廷で(私的所有権に関して)自分と主人の弁護ができるほどであり、したがって女性は文字通り成育過剰とさえ言えるであろうが、女性たちは自らの権利を守ることができず、また国家市民としての要件も自分ではない代理人を通してのみ処置することができるからである。」[34]

この言及は注意深く分節して読む必要がある。万が一、法的人格の成立が財産権(property)を行使できる能力に関係する問題であるなら、女性は文字通り『過剰成育』だと言えるほど成熟した能力をもっている。それにも関わらず「彼女」が子供と同じく未成育に分類される理由は「戦争に赴くことが女性の仕事ではないことと同様に」自らの権利を守ることが出来ないからである。すなわち自らの力で財産と声明を守ることのできない彼女は、したがって「財産権」を持つことができず、「国家市民としての要件」も代理人を通してのみ処理することができる。この言説は個人の生命と財産の安全のための諸意志の総和、一般意思としての主権‐国家というルソー的概念として再び私たちを圧迫する。

カントの上の言及はオランプ・ド・グージュと事実上同じ地点から出発しているのである。差異はただ、したがって法的人格を与えられないという結論にいたるか、でなければ、したがって(男性と同様に)国家の殺生与奪の権(ルソー)の対象となることにより、(処刑台にのぼっても、国民兵になっても)法的人格を与えられることになるか、にあるだけである。この論理を推し進めるならば、兵士となれない限り、女性は永遠に二等国民にとどまるしかない[35]

この論理は一見自らの命を国家のためにかけることのできない者、すなわち兵士となることのできない女性は、はなから近代国家の構造から除外されるしかないという結論を胚胎しているように見える。しかし、私が述べたいのはこうした「排除」の戦略に対する問いだけではない。この結論は二つの地点において不適切である。先に述べたように、男性と女性を過剰に分割する解釈だという点で、また私たちが今問題としているこの時間が、すでに総力戦以降だということを念頭におく時、そうなのである。もう一度上の文章へと戻ってみよう。女性は除外されるのではなく、「代理人を通して」国家市民の要件を供える。この言葉は女性が国家の市民の外にいるということを意味しない。彼女は男性を「媒介」として国家の市民となる。あるいは国家の市民である限りにおいて男性を媒介しなければならない。

兵士‐国民という表象に向かいつつある『朝鮮海峡』がひじょうに興味深いのはこの映画が植民地男性と女性を「それぞれ」国民化する諸機制を見せてくれている反面、その危うい成功、あるいは失敗の境界にまで至っているからである。『朝鮮海峡』が銃後の婦人物語として構築されているということは、ある意味においては正しい。しかし、この話は単に国策映画としてのこの映画の性格を規定するだけではない。このことはより範囲を広げて理解する必要がある。よく知られているように「銃後」という単語は総力戦体制下においてはじめて可能となった概念である。前線((front line)なき戦線、あるいはすべての場所が前線である総力戦の下で個々人は男、女、老、若に関係なく戦争に「参与」する。銃後とは既に協力の概念ではなく、総力で参与することの謂いである。

『朝鮮海峡』が描いている女性は、待つことの物語として総力戦下の「国民」というメカニズムのなかに「参与」している状態である。この映画で男女の行きちがいが、これほどまでに重要なのはこれを通して初めて待つ者の役割が作られるからだ。そしてこの役割を担う限りおいて、この女性は「参与」が可能となるからだ。ところでこの涙のメロドラマはまさにその涙のために1943年という時間に抗う一種の感情の陣地を構築している。

文藝峰というスターの被虐的展示は『朝鮮海峡』という題目が意味をあらわにする瞬間、絶頂に達する。映画でもっとも頻繁に見ることができるのは、同じ時間に常に他の空間におかれている成基と錦淑の姿である。この行きちがいの映画は、十分に交錯編集映画だと言えるものである。そうした二人が電話で出会う。病床の錦淑の周りには女性たちが集まっている。錦淑の友達えい子、セイキの妹キヨコ(清子)、そして看護婦たち。成基は待たせる特権を持ったのだが、彼女らもまたこの戦争で待つことと忍苦を通して電話に「出ることのできる」特権的位置にある人々である。そうやって彼女たちは、みな気をもんで時計を見つめている。長針が5時を少しばかり過ぎている。この映画が男と女の残忍な行きちがいの話ならば、最後の瞬間、彼らは電話を通じて(あるいは電話ででも)出会うこの場面こそ映画のクライマックスになるだろう。待ち続ける彼女たちは(女性と想定された)観客の位置を再現している。その瞬間この映画は大衆映画であり「国民」の映画として位置づけられる。

遂に電話のベルが鳴る。女は男に渾身の力をふるいかろうじて話す。手柄を立ててくださいと、子供も立派な軍人になりますと。ところで彼女の言葉はすでにどうでもよいのである。なぜならこの瞬間ついに私たちはあの謎に包まれた成基の入営の理由を知ったからである。『父の許しがあるまでと、だまっていたのだ。元気を出せ。元気を出すんだ』『わかったな。僕たちはこれからなんだぞ。うん。僕たちはこれからなんだぞ』。

この場面は三つの空間の交錯編集によりできている。男と女の間に絶え間なく光を照り返す海が入り込む。『朝鮮海峡』という映画の題名がはじめてその意味を明確にする。このインサートカットが意味するものは何なのか。玄界灘が植民地期を通して被植民者朝鮮人男性の限界地点として機能したことを念頭におくなら、それぞれ成基と錦淑がおかれている場所、本国と植民地朝鮮という位置設定の問題は以下のように述べることができるだろう。成基は皇軍として負傷することにより、直ぐにその本国におかれることになる。この文章は分節して読まなければならない。皇軍になることにより本国に行けることになったのではない。当然のことだが、日本本土は太平洋戦争の激戦地ではなかった。成基は負傷したことによりはじめて後方(銃後)、本土に移送されることになった。もう一度言えば、皇軍になることにより男性は「国民」を夢見ることができるが(朝鮮を日本の外部から内部へと引き入れること、植民地人の国民化)、実際に本渡内に侵入可能な瞬間は文字通り彼の体が壊れた時であり、再び健康な身体を取り戻した時、彼はどこかの戦場に赴かなければならない。したがって朝鮮海峡の向こうからこちら、朝鮮を見る成基の位置は、あくまでも一時的である。

一方、この位置設定の意味は錦淑=文藝峰が体現している朝鮮性により倍加される。錦淑という名前は既に朝鮮人という痕跡を内包している。たとえば金信哉が扮している成基の妹はキヨコという日本式の名前で呼ばれる。この二人は衣装においても鮮明な対照をなしている。キヨコが短い改良韓服と洋装とで銃後が求めるモダンな新女性を再現しているとすれば、錦淑(クムスク)の日本式発声のキンシュクと呼ばれる文藝峰は工場で働く場面を除いては韓服にのみこだわっている。

なによりこの全編が国語(日本語)の映画が聞かせてくれる流暢な日本語のはざまで、文藝峰が駆使するつたない日本語の発音は彼女の作品中の名前と共に絶えず朝鮮性を喚起するものである。既に私たちはある学徒兵がこう書いているのは見た。「自分の家、自分の郷土、自分の民族のためでないのなら私たちは死んでも死にきれない」その時、この海のインサートカットは1943年という徴兵制の時間に処した自己正当化の矛盾をあらわす。国家の呼び出しを受け、国家でなく郷土と私の愛を守るために赴く。ところで死ぬことによりそうなる。映画はこの操作された自発性を錦淑の死を通して、破綻に至らしているのかもしれない。

以後、大韓民国の映画の一つの文法となる被虐的メロドラマが完成するこの記念碑的瞬間に、離れた彼方において「朝鮮性」(文藝峰)が死んでいくというのは残忍な逆説である。兵士になることにより植民地朝鮮人の限界地点を越えられるだろうという幻想は、それがなされる瞬間に裏切られる。

 

5.顔‐クローズアップ、彼女は死ぬだろう

『朝鮮海峡』が作られた年の雑誌<新時代>には興味深い座談会が載せられている。電車の車掌、百貨店の店員、タイピストなど職業女性らが出席しているこの座談会の趣旨は以下の言葉に要約されている。

「半島の女性も外に出て自分の生活を確立するまで頑張ってきたのですが、ちょうど義務教育と徴兵制が実施されることになり、これからはそれ以上の努力をしなければならなくなりました。私の主人が出征することになっても余裕をもって後ろを防がなければならないんじゃありませんか。」[36]

帝国の総力戦は女性にとって機会であった側面もあった[37]。非植民地人と女性という帝国の劣等な臣民らの間には山之内康が述べる「強制的均質化」あるいは酒井直樹が規定した「個人一般の国民への自己確定の欲望[38]」が働く。女性あるいは被植民地人として帝国の二等国民はともに「国民」を夢見る。強制的均質化が希望と接触する瞬間である[39]

男性らが戦場へ向かった銃後の空間において女性たちは小さな連帯の共同体をなす。内鮮一体はアイロニカルにも(戦場の男性「戦友」らによってではなく)女たちの間においてなされる。錦淑の日本人の友達えい子は成基が立ち去った後、残された錦淑を何かと面倒をみる。えい子は実際に成基の抜けた場所を占めているように見える。それはその通りなのだが、えい子と錦淑は一つのフレームでもっとも多くとらえられる「カップル」である。この映画が錦淑‐成基のカップルの話であり、同時に錦淑‐えい子のカップルの話だということは、この二人の女性が初めて登場する場面から予告されている。机の上の写真のなかには錦淑‐えい子が明るく笑っている。写真からカットを分けず部屋の方へとパンニングするカメラは成基が既に立ち去ってしまった朝、面と向かって座っている錦淑とえい子をワンフレームでとらえる。この二人の女性がともにするショートはあまりに頻繁で(少し誇張して言えば)ナラティブ上、錦淑‐成基のカップルを扱うこの映画がイメージの次元で熱中しているのは錦淑‐けい子のカップルであるように見えるほどである。この賢明で思慮深い日本人の女性は実に献身的に錦淑を助ける。またもう一人の助力者である成基の妹キヨコである。この唐突な新女性は抑圧的な父親に敢えて抗い、無能な母を叱責し、他人を心の底から理解しようとする。

前もって断っておくが、私はこのことについては過度な意味を付与しようという気はない。しかし一つ確実なことはこれらの女性らの連帯こそが「女性映画」として宣伝されたこの映画が訴えている対象を明らかに示している点である。

多少宣言的に述べてみよう。『朝鮮海峡』は文藝峰の映画である。このことは単に彼女が主人公だという事実だけを意味しているのではない。端的に言えば、私たちはこの映画を通してほとんど初めて女性スターが「掌握」している朝鮮映画と出会う。この映画を分析するためには文藝峰というスターがもつイメージの前史を引用するしかない[40]。しかしより正確に言えば、この映画にいたり、文藝峰ははじめて「スター化」する。もちろん1930年代の中半<春香傳>と<나그네(ナグネ=旅人)>で一躍スターダムにのぼった彼女は「三千万人の恋人」として崇められ、たとえ日本語の実力不足で挫折してしまったが、大東亜共栄圏最高のスター李香蘭と比肩する(正確に言えば、第二の李香蘭になりうる可能性が予見された)唯一の朝鮮人俳優であった[41]。彼女は朝鮮の入江たか子であり、リリアン・ギッシュであり、マレーネ・デートリッヒだった。

しかしこの麗々しい言葉をそんなに深刻に受け取る必要はないように思われる。1930年代後半の朝鮮映画界は中日戦争という時代的背景とトーキーへの転換という映画の内的変化により企業化を模索しており、そのさ中に登場した文藝峰はパイの大きくなった映画産業が求める「スター」の名を与えられた。そうした意味において朝鮮映画界は文藝峰を通して「女性スター」を模索中であったと見る方が妥当であろう。これは彼女が受け持った配役においても確認できるのだが、<春香傳>という特殊な場合と<未夢>を除いては女性主人公だと言っても、娘、姉妹、妻などを代わる代わる演じる彼女の役割は、男性主人公に比べ付随的な位置におかれていた。『朝鮮海峡』はまさにこの女性スターをめぐる朝鮮映画の模索が結実する瞬間である。トーキー時代への転換以降、朝鮮映画界の長年の念願が朝鮮映画株式会社として現実態となった瞬間(国家による朝鮮映画の完全なる企業化であると同時に「朝鮮映画」という単位の消滅)、銃後の婦人という両価的言説のなかで、そのいつよりも多くの女性らが職場へと出て行くことになった瞬間(この話はなぜこの映画が「女性映画」として宣伝されえたかを見せてくれるものでもある)「スター」文藝峰という長年の模索が結実したのは一見当然なことでありながら、同時にアイロニカルなことである。朝鮮女性文藝峰はつたない日本語によりスターのイメージを完成しなければならなかった。

『朝鮮海峡』は文藝峰をスターにするために本当に全ての努力を傾けているように見える。時々彼女の顔はソフトフォーカスで処理され、ジェスチャーと表情はショットの大きさと連鎖のなかで特権化される。何よりも私たちの眼を固定させるのは彼女の顔である。うりざねのようなあごの線、切れ長の目、わずかに開いている唇、鋭いが一方ではもろさを感じさせる鼻の線の組み合せが画面全体をおおう。文藝峰を絵にするために『朝鮮海峡』でもっとも頻繁に使われるカットはクローズアップである。

ローラ・マルビー(L. Mulvey)によれば、クローズアップは『映画を人間の顔に対する瞑想のなかに陥れながら、スト―リーの流れから語り的に合理化できる全てのものからイメージが抽出された所有の瞬間を許しつついつも遅延のメカニズムを提供してきた[42]』。

おそらく映画に関する論議のなかでもっとも多くの誤解と論争を引き起こしたものの一つはローラ・マルビーのエッセー『視覚的快楽と物語映画(Visual Pleasure and Narrative Cinema)[43]』(1975年)であろう。カメラ、男性主人公、そして(男性配役あるいは主人公と同一視する)観客という三つの視線の重なりのなかで、見られる位置におかれた女性の肉体はフェティシュの対象となる。この記念碑的論文は女性の位置と男性の位置を本質化しつつ、女性が得る視覚的快楽を塞いでしまったと非難されてきた。確実に見るものと見られるものの間のこの二項対立的な区分は、既に相当部分廃棄処分されたように見られる。一時代前の映画理論の論争史をあらためて引き出そうというのではない。ここで問題にしたいのは(デジタル映画観覧のなかで新たに浮上した「遅延の映画」に関する彼女の最近の仕事から明らかになった)「線形的語りを停止させる力」である。ローラ・マルビーの仕事はよくしられているようにハリウッドの女性スターらのスペクタクルを分析しつつなされた。女性スペクタクル、それらは『行動の流れをエロチックな瞑想の瞬間のなかで氷りつかせる傾向がある[44]』。この核心におかれているのはほとんど不動に近いイメージとしてのクローズアップである。

再び『朝鮮海峡』へと話を戻そう。文藝峰の顔のクローズアップの効果が極大化される瞬間はそれがある流れと関係を結ぶ時である。たとえば次のような場面を見てみよう。偶然に街に出た錦淑は成基の市内行軍の場面を目撃する。ショート(a)で彼女は赤ん坊をだき一心に歩いている。(b)行軍する一行を避け彼女は道路の端に身を寄せる。(c)行軍を見つめていた彼女の顔が驚きでこわばる。(この状況の前まで彼女は成基が軍人になったという事実さえ知らずにいる)。(d)行軍の一方のなかを歩いている成基。(e)彼女の驚いた顔がもう一度クローズアップされる。

これと類似したシークエンスが成基が前線へと向かう汽車に乗った瞬間もう一度繰り返される。錦淑がタクシーに乗って駆けつけた時、既に汽車は出発し始めている。階段を息せき切って駆けおりる錦淑、出発する汽車、錦淑の顔のクローズアップ。

 

a b

c d e

 

この二つのシークエンスが興味深いのは女と男の対比のためである。女は佇んでいるのに反し、男は行軍中であるか、汽車に乗り込んでいる。女は独り存在するのに反し、男は複数の形象のなかにおかれている。クローズアップの効果のなかで一瞬均質化された身体を通して流れていた男性の語りは流れを止め、この瞬間錦淑‐文藝峰の顔が私たちをとりこにする。彼女の危なげな表情は私たちをして再び彼と彼女が再会できないかもしれないという心配におとしいれる。最初の場面で遺影の転倒された姿と共に登場した成基の憂鬱が彼の入営とともに、錦淑の待つこと、あるいは強迫症へと移っていくのであるのなら、病床に横たわる錦淑の病んだ顔のクローズアップは、まさにこの最初の場面と対をなしているのである。ソフトフォーカスで処理されたこの衰弱した顔は私たちの心配を最高潮へ押し上げる。彼女が死んでしまったらどうする。その時、錦淑の顔は死んだ者のポーズとなって登場した成基の死を身代わりしている。すなわち、文藝峰のクローズアップされた顔は一種の遺影なのである。

この映画が収めた驚くべき成功の秘訣はまさにこの被虐症に起因するものではないか。これこそが「女性映画」というレッテルを文字通り受け入れさせる瞬間ではないのか。もちろんこれは前後に続くシークエンスとの連結、映画での語りの構築運動の次元において見るのなら、きわめて短い瞬間である。行軍のシークエンスにつづく場面は工場で働いているキンシュクの姿だ。男が軍人となった事実を知った女は銃後の働き手となり工場で働く。この引継ぎは城後の婦人のための国策映画として、この映画の物語を効果的に伝えている。または二つ目の汽車のシークエンスで錦淑の顔のクローズアップにつづくショートは駅のホームに落ちた千人針である。工場での休憩時間の合間に同僚に縫ってもらったものである。その千人針を成基の母が拾い上げる。そうしてこの母は初めて見た息子の女を受け入れる。もう一度言えば、成基の母が錦淑を受け入れるのは彼女が「千人針」をつくった女であるからだ。きわめて短い瞬間に「凍結」は終わり、語りが流れていく。この語りはもちろん「待つことの語り」であり「国民国家」の語りである。

 

結びに変えて‐「愛」(の蹉跌)、一握の不穏性

志願兵の時間と徴兵制の時間はいかに異なるのか。なぜ徴兵が目前に迫った瞬間にも『朝鮮海峡』は志願兵の物語によって語りかけるしかないのか。帝国が求める「自動化」された忠誠心(甚だしくは帝国内においてさえも不可能な)は植民地にまで拡張できなかった。朝鮮人たちとしても帝国の悩み多き軍人官僚としても「自発性」と「誓い」が必要だった。国家そのものが一種の選択である場所において、忠誠心は自然化されたものではなく、宣言の問題になる。しかしその宣言あるいは「不」自然さは徴兵制国民国家が源泉的に内包した作為をあらわにするものでもある。『朝鮮海峡』は私たちを国家の自然性を主張する作為‐すでに死ぬことを予定された者、少なくとも死の可能性に投げ出された者らの「機会でない機会」の言説が暴露される瞬間と対面させる。

1930年代末以降、戦争を遂行中の帝国が朝鮮に求めた兵士の体は被植民者らをして「国民」という可能性と遭遇することになったし、高度国防国家論に代表されるシステム社会への転換は「近代の完成」を夢を見させた。被植民者らは戦争という例外状態を媒介として被植民者という例外的存在から抜け出すことができる可能性を夢見た。公式の言説内において、夢はそのようにしか登場できなかった。兵士となることができ、市民となることができる。国家が彼らを一方的に呼び出すとき、すなわち「召され」た瞬間この新たな「国民」らは徴兵制と選挙権、義務教育がそろって到来する近代国家の原理に直面する。(もちろん1943年当時、いかなる明示的な約束も支配側から公式になされたことはない)。国家がお前を守るはずだ。そのためにお前の命をささげろ。したがってここにあるのはセキュリティーをめぐる残忍なアポリアである。誰が私は保護してくれるのか、国家だ。国家は誰が保護するのか。私だ。私の生命を保護するものとして知られている国家のために、私は命を捨てるこのアポリアに処し、国民兵たちは自分が守ろうとする恋愛と愛の対象を呼び出すしかない。この瞬間メロドラマの政治性はその一つの典範を完成する。国家がこれ以上自然的なものでない場所で、否一度も自然的なものでありえなかった植民地で国家の想像はいかなるものでありうるのか。

要するに国家が自然化されない状態の徴兵制、『朝鮮海峡』の残忍さはここから出てくる命をかける理由を探すこと、しかし決して明らかにできないということ、国家はここでは全てのものでありつつ何ものでもない。戦場に立っている兵士らは何を考えているのか。少なくとも国家ではないだろう。愛‐自分の命と自分が愛する者への愛、国家はまさにその感情の間隙に言説の陣地を張るのだが、その陣地を抜け出る道もまたそうした感情から出てくる。文藝峰の顔をとらえる執拗なクローズアップはまさにこの国民化の論理を瞬間的に停止させる諸効果を呼び起こす。『朝鮮海峡』は国家の感情経済、支配の語りとしての愛、補償のない死の上に立つ権利の言説などが複合的に絡みあう場所で奇妙なジャン 蹉跌 ル‐戦争する国家のメロドラマを完成する。このドラマは忠勇である一方不穏である。「愛」(の)、この一握の不穏性から私たちはこの映画を、この時間帯を再び問えるかどうかわからない。

 

 


[1] 李光洙「心相触れてこそ」『緑旗』1940.5.124頁.

[2] ルソー『社会契約論』桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波書店、1969年、54頁.

[3] Gilles Deleuze, Cinema1: the movementimage, translated by Hugh Tomlinson and Barbara Habberjam, University of Minnesota Press, 2001, p.87.

[4] 『昭和18年朝鮮年鑑』毎日申報社編、京城日報社、1944.

[5] 1927年の徴兵令全文改定の形で制定された兵役法第一条『帝国臣民タル男子ハ本法ノ定メル所ニ依リ兵役ニ服ス』という規程により日本国籍をもつ男子全員に兵役義務を課した。一方問題の二十三条「戸籍法の適用」により朝鮮人、台湾人を兵役義務からのぞいた。ところでこうした帝国日本の兵役法体制は1942年5月に全面的修正にいたる。もちろんこれは十五年戦争の下での動員兵力の増加という目的で行われたもので、引き続く法改定の結果であった。この制度が公布された1943年の時点に至り、朝鮮人、台湾人を対象とする徴兵制実施とともに兵役年齢そのものも満十九歳以上四十五歳以下へと大幅に変更された。台湾人、朝鮮人を対象とする徴兵制の実施は憲法域と統治域の区分という帝国日本の法運営に全面的な修正をもたらした。日本での近代兵役法の展開過程については大江志乃夫『徴兵制』岩波新書、1981、103頁を参照。

[6] 小磯国昭『葛山鴻瓜』丸の内出版, 1968, 773頁

[7] 朝鮮人学徒兵についての詳細な研究としては姜徳相『朝鮮人学徒兵出陣』(岩波書店、1997)を参照。

[8] 戸籍調査(1943年3月)と身体検査(1944年4月)が完了した後、実際に最初の入営が実施されたのは1944年9月以降であった。朝鮮での志願兵制度から徴兵制実施にいたる一連の過程については樋口雄一『皇軍兵士にされた朝鮮人』(社会評論社、1991)を参照。

[9] 崔南善「보람있게 죽자」『朝光』1943.12. 54頁. (一応「有意の死を」と訳した:訳者)、

[10] 瑞原幸穂「大いなる」『朝光』1943.12. 46頁.

[11] 同上. 47頁.

[12] 松原實「我等今ぞ立つ」『朝光』1943.12. 52頁

[13] 閔丙曾「朝鮮徴兵制実施の特殊性」『東洋之光』1943.8.21-22頁

[14] 『未公開資料 朝鮮総督府関係者録音記録(1) 十五年戦争下の朝鮮統治』宮田節子解説監修、学習院大学東洋文化研究所所蔵 友邦文庫・中央日韓協会文庫, 2003, 99頁.

[15] 「自分の家、自分の郷土、自分の民族のためでないのなら私たちは死んでも死にきれない。喜びで死を迎えることはできない。犬の死にすぎないだろう」松原實「我等今ぞ立つ」『朝光』1943.12, 52頁

[16] 崔載瑞「徴兵制実施の文化史的意義」『国民文学』1942年5月6月合併号、4-7頁.

[17] 『朝鮮海峡』は京城、平壌、釜山の三大都市で13万8750人、8万円を越える興行収入を上げたが、1943年当時としては想像を絶する超巨大資本が投入された朝鮮映画製作株式会社の資本金が500万円であったことを念頭におけば、これは実に大成功と呼べる額である。以上の数字は櫻本富雄「15年戦争下の朝鮮映画‐透明体の中の朝鮮」『三千里』34号、1983年, 190頁参照.

[18] この映画のスタッフは以下の通りである。政策担当 李載明、脚本 佃順、演出 朴基采、撮影 瀬戸明(李明雨)。配役。文藝峰、南承民、椿澄枝、金一海、金信哉、獨銀麒、崔雲峰、金漢、卜惠淑、金玲、李錦龍、姜貞愛、孫一圃、異暁、木下福恵、朴永信、金本元培、徐月影、南弘一、金素英、李源鎔、洪清子。「朝鮮海峡」『新時代』1943.7.87頁から引用。えい子役をした椿澄枝だけが東宝映画社出身の日本人女優である。

[19] 韓国芸術研究所編『李英一の韓国映画史のための証言‐柳長山, 李昌根, 李弼雨』図書出版소도, 2003, 292頁.

[20] 金基鎭 「“朝鮮海峡”を中心に①」『毎日申報』1943.8.8.

[21] 須志田正夫「朝鮮映画の現状」『国民文学』1943.9.40-41頁

[22] 須志田正夫, 上掲書、484(41)頁. この映画の「根本精神の間違ひ」を指摘している須志田正夫の評価は「批評の同時代的基準」を踏まえて見るならば、かなり正確な指摘と言えるだろう。なにより朝鮮映画株式会社という現実態へと帰結した当時の巨大統合映画会社をめぐる論議の核心の一つは、営利を主にする映画製作の風土の止揚にあった。これは二つの問題の結合に由来するものなのだが、一つはトーキー映画の導入の結果製作費の急激な上昇をどうしたら解決できるのかという問題であり、もう一つは映画の公共性という問題であった。

[23] 李光洙、上掲文「心相触れてこそ」同124頁

[24] 李光洙「兵になれる」『新太陽』1943.11

[25] この無情な父の形象が本格的な徴兵制映画においてどう登場しているかを考察することは興味ある作業である。『朝鮮海峡』から一年後につくられた<兵隊さん>が『朝鮮海峡』の成功を意識していたことはこの映画の主人公ゼンキ(善基)という名からも類推できる。セイキ(成基)だった俳優南承民は今度はゼンキ(善基)となって戻ってくる。同じ俳優の顔は話の前史を引きずって来るのだが、彼が最初に登場する瞬間から映画は既に死んだ父との不和を暗示する。一家の家長として死んだ父の役割を代行するゼンキの兄は『朝鮮海峡』で父に扮した金一海が演じている。父との葛藤を前史とするこの<兵隊さん>で重要なのは兄弟愛‐戦友愛の空間としての兵舎の前景化である。<兵隊さん>を面白くしているのは、まさにここ、父を不在のものとして得られる戦友愛‐兄弟愛の前景化である。こうしてこの映画は以後「大韓民国」戦争映画の一つの原型を既に完成している。

[26] 李英載『帝国日本の朝鮮映画―植民地メランコリアと協力』三元社、2013

[27] 李春人「脚本、演出、演技‐朝鮮海峡を見て」『朝光』1943.979-80頁.

[28] 現在発見されたフイルムでは錦淑が最後に登場する場面で彼女の死は予感しがたい。ところで『朝鮮海峡』が封切られた当時、この映画を紹介している様々なジャーナルは一様に映画の結末が錦淑の死で終わると記録している。上で引用したレビューを書いた当時、李春人は「不幸にこのシナリオは活字化されず、一読する機会がなく」と明らかにしている。すなわち李春人の分はプリビューではなく映画を見てから書かれた文である。一つの可能性は朝鮮映画が大東亜共栄圏へ流出した当時、国内版と異なる編集版をつくった可能性である。現在のフイルムが「中国電影」で発見されたという点から推してみるとき、これは可能性のある話に思われる。

[29] 映画においてジャンルとは映画の形態を規定する諸略号の集合体であり(ジャンルの監修)、同時にこの略号は観客の期待の地平と弾力的に反応しつつ生成、変化するものだ(ジャンルの変異)。 S. Neale, Genre, British Film Institute Publishing, 1980.

[30]Doane, Mary Ann, The Desire to Desire: The Woman's Film of the 1940s. Bloomington: Indiana University Press, 1987, p.152   

[31] ルソー、『社会契約論』、桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波書店、1969年、54頁.

[32] オリヴィエ・ブラン『女の人権宣言 フランス革命とオランプ・ドゥ・グージュの生涯』辻村みよ子, 岩波書店, 1995, 272頁.

[33] ルソー、上掲書、55頁.

[34] カント『カント全集15 人間学』渋谷治美訳、岩波書店、2003、143頁.

[35] 近代国家そのものを問わない限り、一国内での平等権をめぐる女性の徴兵制参加という問題は引き続き難問として残るだろう。平等権と兵役義務をめぐる各国の憲法判断の事例については以下の著作を参照。辻村みよ子 『ジェンダーと人権』日本評論社, 2008.

[36] 「錬成する職業女性」(座談会)『新時代』1943.3. 98頁. 当時流行していた錬成という表現には「国民づくり」という意味が介入しているという事実を指摘しておく必要がありそうだ。1942年の徴兵制実施が公布された以降、朝鮮各地には朝鮮青年特別錬成所が設置された。すなわち錬成とは非国民を国民化する過程を意味しているのだ。

[37] 日本内で、特に中産層の女性運動に総力戦がもたらした効果については西川祐子『近代国家と家族モデル』(吉川弘文館、2000)を参照。

[38] 酒井直樹「[総説] 多民族国家における国民的主体の制作と少数者(マイノリティ)の統合」『総力戦下の知と制度』 岩波書店, 2002, 9頁.

[39] 『  』山之内靖「方法的序論」山之内靖、ヴィクター・コシュマン、成田龍一『総力戦と現代化』柏書房,1995, 11‐12頁.

[40] たとえば、パク・ヒョニは文藝峰の伝記的諸事実とフィルモグラフィーを総合して1930年代の後半に入って定着した彼女の貧しいが貞淑な良妻賢母のイメージが銃後の婦人を強調する国策映画としての『朝鮮海峡』という物語を支えていると主張している。パク・ヒョニ『文藝峰と金信哉1932∼1945 문예봉과 김신재 (1932-1945)( 문예봉과 김신재 (1932-1945)( 문예봉과 김신재 (1932-1945)(』성인, 2008, 149-160頁.

[41] 1939年の時点で日本の雑誌編集者として活躍していた金鍾漢は彼女こそ「古典的タイプの朝鮮女性」と激賞してやまなかった。金鍾漢『婦人画報』1939.12(『金鍾漢全集』藤石貴代, 大村益夫, 沈元燮, 布袋敏博編, 緑蔭書房, 2005)。

[42] Mulvey, Laura, Death 24 x a second: stillness and the moving image, London: Reaktion Books, 2006, p.181

[43] Mulvey, Laura. “Visual Pleasure and Narrative Cinema.” Film Theory and Criticism : Introductory Readings. Eds. Leo Braudy and Marshall Cohen. New York: Oxford UP, 1999: 833-44.

[44] Mulvey, Laura, Ibid, p.837